「拝啓・猫神様へ」
夏もすぐそこまで近づき、自然休戦期到来まで目と鼻の先となった頃。
ここ熊本で繰り広げられている人類と幻獣の一大抗争は、”死を呼ぶ舞踏”と謡われる人類の決戦存在も未だ現れぬまま、激しさを増していた。
人類の必死の抵抗により、戦況は拮抗しているものの、度重なる激戦により、福岡・宮崎は既に陥落。
人類は北と南の要所を幻獣に押さえ込まれ、消耗戦を余儀なくされていた。
戦況の悪化は当然日常の些細な変化ににじみ出るかのように現れ、各地で戦力不足は元より、
物資不足から引き起こされる深刻な食糧難。武器・弾薬の不足の為に白兵戦を強いられる学兵達。
当然怪我人も、未曾有の量で増加する一方だった。

運良くというべきか、5121小隊の面々は特に大きな怪我人も出すこともなく、辛うじて運営を続けていた。
戦闘の度に士魂号の故障に見舞われ、整備士及びパイロットが修理に駈けずりまわっていることを覗けば、
他の地の小隊に比べて、非常に安定しているかのように見えた。
その中でも士魂号複座型、通称「騎魂号」を駆る速水・芝村両名の働きは特筆できるものがあり、
戦闘があるたびに強くなっていくその様は、まさしくスポンジに水を吸わせたかのごとく。
驚異的な学習能力を発揮し、人知を超えた動きを見せるその様はやがて、人類側の決戦存在の再来とまで噂されるようになった。

そんなある日のこと。
田代香織は、昨今の緊迫した戦況下でも普段の日課である”昼寝”をするために整備員詰め所まで来ていた。
以前は整備士、一般に言うテクノオフィサー担当だった彼女であるが、つい先日それまで空席のままとなっていた
士魂号二番機に、スカウトから来須が緊急で務めることとなり、その代わりとしてスカウトに人事異動と相成ったのである。
元々この小隊に来るまでは、ストリートファイトでその名を欲しいままにしていた彼女の事。
比較的すぐに仕事に慣れることはできた。
だが、そこは訓練馬鹿の若宮がいる部署のこと、当然みっちり朝方の3時ごろまで訓練は常だった。


「邪魔するぜー、石津いるか?」
何気なしに詰め所の引き戸を開け、中に入ると奥の方で石津は、なにやらごそごそやっているようだ。
返事を待たずして部屋の中へ入っていき、背中越しに目をやると視界の先には猫がいた。
どうやらお腹を空かせていたらしいその猫は、田代が入ってきたことにも目もくれず、ひたすら猫缶にかぶりついていた。
「お前、また拾ってきたのか。懲りねぇなまったく」
半ば呆れ顔で、背中越しに石津に話しかける田代。
それもそのはず、何かにつけて石津はどこかしらか猫を拾ってきては世話をしたり、怪我の手当てをしたりしている。
それだけならばまだ普通なのだが、彼女の世話した猫の数は既に100匹を超えており、別の意味で勲章物である。
最近では、猫の方から彼女を求めて迷い込んでくることもあり、ある種この小隊の名物と化しつつあった。
「…け…がして…いた…し。猫…す…きだから」
ぼそぼそとつぶやく彼女の名は石津萌。5121小隊での指揮車銃手兼衛生官を担当している。
ことある事に傍らには、小隊のマスコット的存在のブタ猫”ブータ”が寄り添っているが、彼女ほどそれが似合うのも珍しい。
時折黒魔術の真似事なぞを趣味に持つ彼女は、近寄り難い雰囲気を持っているものの、話しかければとても良い子である。
少々内気なのがタマに傷だが。

そうこうしているうちに、子猫は餌を食べ終わり満足したのか、その場で丸くなって寝始めた。
その様子を微笑を浮かべ眺める石津。
「しっかし、よく飽きねえなぁお前。餌代だって馬鹿にならねえだろう?」
「で…も、猫…に親切に…する…ときっと…いいことが…ある…のよ?」
声こそ小声で途切れがちだが、必死に伝えようとする石津。なんとなく迫力もある。
「いいことねえ…それってアレか? 救世主が現れてぱぱーっと幻獣を片付けてしまうっていう」
そういって豪快に笑う田代。手には持参してきたコーラの缶が握られている。
「お…話…がね、あるのよ…。猫…神さまがいる…っていう」
「ああ、あの話なら俺も知ってる。でもあれって童話じゃねえのか?」
「…本当…よ、私…見た…こと…あるもの」
「猫神ねえ…。まっウチのブタ猫じゃ当てにもならねえよなあ」
そういい終わるか終わらないかのところで、ナーゴッっという独特の鳴き声が聞こえた。
どうやら本人の登場のようである。
何時の間に入ってきたのか、ブータは田代の視線を気にも留めず、一目散に石津に向かって走り寄ってきた。
体重8kgとかなりの図体の何処にそんな俊敏な動きをできるのかというぐらいの速さで、次の瞬間には石津の傍らに鎮座し、
毛づくろいを始めた。

「人間の話すことがまるで分かるみてぇだなあ、コイツも。不思議なもんだぜまったく」
そう言うと、田代はコーラを飲み干す。
「おっと、そうだ。しばらくベッド借りるぜ。昨日また若宮にしごかれてよう。眠くてたまらねえぜ」
さっそく田代は、ベッドにもぐりこむと寝息を立て始めた。
「…いび…き、たて…ないで」
もはや田代がここで昼寝を取る事は日常茶飯事と化しているものの、彼女の寝つきの良さといびきの凄さは
この小隊でも1、2を争う凄さと謡われるほどである。ある種スカウトをやる上では有利かと思われるが、
日常においては非常に迷惑極まりないことも間違いないわけで。
石津も慣れた手つきで、机の引き出しから耳栓を取り出すと耳穴につけると、救急箱の薬の補充を行い始めた。

それから数日後、どこからかまた猫が迷いこんできた。
ブータに引きづられるようにして連れてこられたその猫は、古ぼけた首輪をしていた。
どうやら元々は飼い猫だったようで、首輪のプレート部分には名前らしき文字が書かれていた。
擦れてしまっていて判読不明であったが。かなり衰弱しており、事態は急を要していた。
「おーっす! …何やってんだ?」
たまたま詰め所の前を通りかかった田代は、石津がまた猫を担いでいるのを見てまたかと思いつつ話しかけた。
「…この…子…死に…そうだから」
猫の方に目をやると、既に息も絶え絶えの様子。田代は内心こいつはもう長くないと思ったが、
石津の必死の様子に心を揺り動かされた。
「とりあえずコイツは俺が運んどいてやるから、お前は何か栄養のあるもんの準備! 急げっ」
田代にまた嫌そうな顔をされると思った石津は、意外な反応に驚きつつも微笑み返した。
「…あ…りが…とう」
「はっいいってことよ。それより急げ、時間がねえぞ!」
「…うん」
それから数時間、必死の看病が開始された。
体温の低下を食い止めるために毛布で包んでから、猫が食べものを受け付けるようになるまで、
三日間ほど時間を浪費することに。
幸い怪我はしていなかった為、栄養を取るようになってからは順調に回復の兆しを見せた。
田代と石津の寝ずの看病の甲斐あってか、一週間後には元気に跳ね回るまでとなった。
「邪魔するぜぇ、ってこいつはまた荒れてるな。アイツがまた暴れてんのか?」
「…元気…よ…すぎよ…あの子」
半ば呆れた顔で石津も顔を見合わせる。
詰め所は猫に引っ掻き回されて救急箱の中身やら何やらが飛び散っていた。
「…」
田代は黙ったまま、猫の首根っこを捕まえると鬼の形相で叱り始めた。
「散らかしちゃ駄目だつってんだろが、この野郎。っておめえオス猫だっけか。まあいいや
今度やったら、飯抜きにすっぞてめえ」
元不良にガンつけられて怖気づく猫。申し訳なさそうにニャーと鳴く。
「そ…の…へんで…やめて…あげて」
石津の制止が入るころには、猫は田代の手を離れて、逃げるように飛び出していった。
「ったく元気になってみればコレか。恩を仇で返す気か? あいつ」
田代はそう言い放つと、やれやれといった感じで手をひらひらさせた。
しかし、その猫を見たのはそれが最後だった。
石津は数日間、毎度同じ場所に餌を用意していたが、それに手をつけられた形跡はなく、失踪から一週間が経過した。

そんな中、5121小隊は熊本中でも指折りの激戦区、阿蘇特別戦区への出撃と相成った。
戦時中特有の忙しさにかまけているうちに、田代も石津も猫の存在を忘れていくようになった頃、事件は起こった。
運の悪いことに、5121小隊以下学兵軍は、スキュラ・ミノタウルスのみという編成とぶつかる羽目に。
当然戦闘は苦戦を強いられ、友軍機の半分が撃破された頃、善行の元に準竜師からの命令が届く。
「軍令部より通信。つなぎます」
オペレーター瀬戸口の声の後、通信機から独特の濁声が聞こえてきた。
「俺だ。善行。悪いが、しんがりを頼む」
「…了解しました」
「言いたいことがあるのはお互い様だが、まず生き残ってからだな。幸運を祈る」
それきり通信は途絶えた。善行はうっすらと背中に冷たいものが流れていくのを感じながらも、眼鏡の位置を直し
表情を押し隠すように、全軍へ命令を伝える。
「…各員に通達、これより我が隊はしんがりを務める。全力で敵の侵攻を防げ」
切り詰めた緊張感はすぐさま戦場に展開中のパイロット・スカウト以下全員に伝えられる。
後退しつつ攻撃が行われる中、田代だけが先陣に立ち尽くしたままであった。
田代は息を大きく吸い込むと、歌い始めた。学兵に伝わる士気高揚のあの歌を。

「…突撃行軍歌ぁ!斉唱ぉ!銃を取れぇ!
 その心は闇を払う銀の剣
 絶望と悲しみの海から生まれでて
 戦友達の作った血の海で
 涙で編んだ鎖を引き
 悲しみで鍛えられた軍刀を振るう
 どこかのだれかの未来のために
 地に希望を 天に夢を取り戻そう
 われらは そう 戦うために生まれてきた」
 
田代のその気迫めいた歌声は、逃げ腰になっていた学兵の尻を引っぱたくには十分であった。
「…ふっ、全軍突撃準備」
善行は眼鏡に手をやりつつ、彼もまた歌い始める。前途未踏のあの歌を。
田代の歌声は、やがて戦場を包んでいく。

「それは子供の頃に聞いた話 誰もが笑うおとぎ話
 でも私は笑わない 私は信じられる
 あなたの横顔を見ているから
 はるかなる未来への階段を駆け上がる
 あなたの瞳を知っている」
 
オペレーターもこれに続く。
「今なら私は信じられる あなたの作る未来が見える」
瀬戸口のテナーボイスが指揮車内に響く。ののみも一緒に歌いだす。
「あなたの差し出す手を取って 私も一緒に駆け上がろう」
振り向けば、誰もが歌いだした。学兵に許されし最後の権利のあの歌を。
「幾千万の私とあなたで あの運命に打ち勝とう
 どこかのだれかの未来のために マーチを歌おう
 そうよ未来はいつだって このマーチとともにある
 ガンパレード・マーチ ガンパレード・マーチ…」
善行は、ゆるやかに手を天にかざし、叫ぶ。
「全軍突撃! よもや命を惜しいと思うな!
 どこかのだれかの笑顔のために戦って死ね!」
 
 
窮鼠猫を噛むとはまさにこの事で。瀕死間際まで追い込まれた人類側は決死覚悟の突撃を開始。
その勢いは天をも揺るがす勢いになり、やがて少しづつ幻獣を追いやっていく。
田代は拳を天にかざし、彼女もまた幻獣へと向かっていく。
駆逐していくうちに彼女は、猫と出会う。
それはまぎれもなく、あの時の猫であった。
「友よ、あしきゆめに対抗する同胞よ。よきゆめの到来のために、今度は私が手助けする番だ」
猫はテレパシーを使って直接田代の脳に語りかけてくる。どことなしに光輝の力が戦場を包んでいく。
威力絶大、至上最後の絶技を”彼”は披露した。まばゆい光とともに、次の瞬間には疲労感はどこぞへと消え去り
それでも尚、力が湧き出してきた。

 しかし、振り向いたときにはもう”彼”はいなかった。
 
その日の戦闘は結局、引き分けとなり事なきを得たが、田代は何年立ってもこの日が来るたびに思い出す。
”ねこかみさま”というものを。

青い光を拳に秘め、彼女は今日もどこかの戦場で戦っている。 

またどこかで、その時のことを書くことにしよう。




  それまでは、終わっとけ。
    



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