「時を告げる音色」
それは、珍しく月が綺麗な夜の事だった。
この夜、来須銀河はスカウトの仕事を終え、グランドはずれでサンドバッグを叩いていた。
修練を終え、帰路に着こうとした最中、それは起きた。
どこからともなく、笛の音が聞こえてきたのだ。
音のする方へと、まるで誘われるように歩いて行くと、何やらプレハブ校舎に黒い人影が見えた。
そういえば、義姉に聞いたことがある。
素敵な音色を聞いたのだと、そう確かその時もこんな月夜だった。
来須は物影を確認すると、静かに階段を上って行った。
しかし、そこにいたのは大勢の猫だった。
それは一斉に並んでいて、夜明けを待っているかのように見えた。
なぜかその猫達の中には、ブータも混ざっていた。猫達は彼を取り巻くように座っていた。
その日は結局、笛の音の元を付き止めるには至らなかった。
不思議な思いに刈られた来須は、それからも数日の間暇を見つけては屋上へ足を運んでいた。
そんな不思議な出来事があってから1週間ほど経っただろうか。
熊本は強烈な大雨に見舞われた。
当然その日は1日中雨が止むこともなく、流石に今日は何も起きないだろうと思われた。
だが、そんな思惑を知ってか知らずか、バケツをひっくり返したように降り続けていた大雨は、
次の朝になるとぴたりと止み、あっという間に晴れ渡っていた。
その日の深夜、屋上にはまだ至る所に水溜りが出来ていた。
月の明りに反射されて、まるでこの空間だけが時間枠から切り取られて、別世界に迷い込んだかのように
神秘的な風景だった。
目を凝らして周りを見渡すと、一人の少女が大勢の猫の中心で笛の音を響かせているのが見えた。
来須はその少女を驚かさない様に、静かに近づくと月夜の明りに照らされて、その少女の顔が垣間見えた。
それはまぎれもなく、石津萌その人だった。
闇夜に佇むその姿は、まるで普段の彼女からは想像も出来ないほどの輝きを放っていた。
笛の音は、楽器から出ていた物ではない。
指を空気に振動させることで彼女は不思議な音色を作っていたのだ。
まぎれもなく、ただの人に真似できる事ではなかった。
来須の気配に気がついたのか、彼女はまるで視線から逃れるかのように走り出そうとした。
「・・・良い曲だな。綺麗だ。」
来須のふとしたその言葉に、彼女は驚いた顔をした。
異様なる力を持つ自分を拒否せず、受け入れてくれたことなど、今まで彼女にはなかったことだったから。
「・・・夜は好き・・・。誰も・・・私を・・・いじめに・・・こないから・・・。
・・・ちゃんと・・・話せないからって・・・、笑われることも・・・ないの・・・。」
石津は重い口を開いた。うっすらとはにかみながら、そう答えた。
それからしばらくの間、2人は並んで屋上に座り、月夜を眺めた。
そこだけ時が止まったかのように、ずっとずっと、眺めていた・・。
2人の間に会話は無くとも、不思議と繋がる、強い絆が見えた、そんな夜の出来事だった。
終幕