「月刻祈祷」



それは、闇夜に月明かりが映える、そんな日のこと。

この夜、善行忠孝は常日頃から決して増えることはあっても、減ることのない
多くの書類仕事に追われ、結局気がつけば日付けが変わる頃になっていた。


ここ熊本は時期はずれの幻獣大量発生の為、既に休戦期を迎えているはずの今となっても
各地で争いの火種が消えることはなかった。


戦況は連日悪化を向かえる一方で、どの部署も徹夜を強いられる毎日。
ただでさえ、環境の劣化が激しいというについ先週もここぞとばかり、大雨に見舞われていた。
まさに猫の手も借りたい程の忙しさというのは、今を置いて他にあるだろうかと。

善行は時折ペンを走らせる手を休めながら、そんなことをぼんやり考えていた。




山のように積み上げられた書類仕事も半分以上やり終えた頃だろうか。
既に校内に人の気配は無く、善行だけとなっていた。

外の空気でも吸いに行こうとして、善行は笛の音が聞こえてくることに気がついた。


その笛の音は決して自己主張することこそなくも、聞く者全てを魅了する、不思議な音色であった。
音色の出元を探して、周囲を歩きまわる内にプレハブ屋上に辿りついた。

そこで、善行は不思議な光景を目の当たりにすることとなる。
そこにいたのは、石津萌その人であった。

ただ一つ普段の彼女と違う所があるとすれば、月夜を背にしたその姿は、まるで別人のような輝きを
持っていたということか。


萌は月夜に向かって何か願い事でもするかのように、時に優しく、時に鋭き笛の音を立てていた。
彼女の側には、小隊の飼い猫ブータの姿も伺える。

静かに彼女に寄り添い、聞き耳を立てているようだった。



善行は一瞬石津に声をかけるのをためらった。
今ここで彼女に話しかければ、何かが目の前から消えてしまうような、そんな感覚に囚われたからだ。



しばらくそのままずっと見惚れていると、こちらの気配に気がついたのか、笛の音が止んだ。

「・・・良い音色ですね、聞き惚れてしまいました。」

善行は反応を待つわけでもなく、かすかに聞こえる程度にそう言った。

萌はブータを抱えて、黙ったままだった。うっすらと頬が赤い。

「・・・・月に願い・・・をしていたの・・・。私・・・にはこれぐらい・・・しかでき・・ないもの。」


萌は所々小声交じりになりながら、話した。
緊張しているのか、声がかすれがちだ。

だが善行には彼女の真意が汲み取れたようで、それきり会話はなかった。

その後、屋上の端に座って、月夜を2人で眺めた。

善行はこの日を境に決意を新たにする。

戦争は必ず終らせなければならない。

誰よりも、この子の為にも・・・。




終幕