「ツヨイキモチ」

 1999年、3月某日。
 いまだ熊本は幻獣の脅威にさらされていた。
拮抗した戦況が続く中、各地で学兵の緊急の育成が進められていた。
5121小隊もご多分に漏れず、日々鬼教官の怒号が教室内に飛びかかっていた。

 ここは、とある古アパートの一室。周囲にはウサギのぬいぐるみが大小問わず飾ってある。
辺りには、読み明かしたと思われる少女漫画雑誌が、転がっている。
そう、ここは5121小隊所属、1番機整備士田代香織の居室風景である。
密かに可愛いもの好きである彼女は、特にウサギの人形に何故か偉く目がなく、よく裏マーケット
に置いてあるウサギのキーホルダーやらなにやらを、店主がじと目で訴え掛けてくるのも無視して
まるで、小さな女の子のような目で見つめているそうな。・・・無論、この情報は極秘情報であり、
初めて現場を目撃した者は、血祭りに上げられたともっぱらの噂である。

 さて、只今朝の7時30分。彼女の家から尚敬高校までは、およそ歩いても40分ほどの位置にあり、
この時間に起きないと、確実に遅刻確定、である。先日、既に一度遅刻で本田先生に頭をおもいっきり
小突かれたばっかで、今日遅刻すれば見事極楽トンボ章受賞という、甚だ不名誉な出来事が大口を開けて待っているのである。
目覚まし時計を常備5個ほど、使っているのだが、普通に目覚ましが鳴っても当然起きることはなく
むしろ音のなる方向へ無意識に拳を走らせて破壊してしまうわけで。朝の彼女にとっては、どうやら
ただうるさいものでしかないようだ。そして我に返って後悔する、毎朝このループの繰り返し。
今朝も、セットした時間になったのを合図に一斉に鳴り始める目覚し時計の大群。
無駄に大音量で鳴り響く”それ”は偉い近所迷惑なブツの何者でもなかったわけで。
無意識に布団を蹴り上げ、起きたかと思うとご丁寧に一つずつぶち壊し、また寝床に戻ろうとする。
また一眠りしようとして、ふと最後の一個の時計を拾い上げて何気なく目にすると、既に時刻は8時を回っていた。
「!!」それで全ての神経が、一気に目覚めたのか、ハンガーに掛けておいた制服をもぎとるようにして
慌しく着用し、飛び出すようにして学校へ走っていった。



 学校へ向かう途中、ふと一匹の猫が通りかかった。どうやら足を怪我しているようだ。
よろよろと歩くその様は見てて非常に痛々しい。ついにはその場に倒れ込んでしまった。
「…おーい、生きてるかー?」
恐る恐る、手を伸ばす田代。まだ息はあるが、早く手当てをしてやらないと非常に危険な状態のようだ。
とりあえず出血している部分を、適当な布で押さえると抱きかかえるようにして学校へ連れて行く田代。
既に時計は10時を回っていた。大遅刻である。
だが、今はこの小さな命の為ならあの不名誉な勲章などちっぽけな存在に見えた。

 先生に見つかると非常にまずいので、こっそりと校門を潜り抜け、整備員詰め所に篭ることに。
詰め所のドアをゆっくりと開けると、ひとまず猫をベッドに横たわらせた。
衰弱が激しくなってきているのか、ぐったりとしてきている。
怪我の手当てを済ませようと、止血の布を外して傷口を見ると、なにか強大な力で撃ち抜かれたように凹まされていた。
まわりがどす黒く黒ずんでいる。
(こいつは人間の為せる技じゃない…、一体何があったんだ?)
しげしげと傷痕を眺めていると、ふと物音がして石津が入ってきた。
「よ、よう!」
背中に猫を隠すようにして、挨拶を交わす田代。非常によそよそしい。
「…うし…ろに…何…かく…してるの…?」
僅かに首を傾げつつ、じっと田代の背後を見つめる石津。
「ば、馬鹿!な、なんでもねえよ!」
そう叫びつつ後ずさる田代。ふと、ベッドに横たわらせていた猫の足が石津の目に止る。
「…どいて」
それを目にした石津は、机の上にある救急箱をひったくるように掴んで、ベッドの前に陣取る田代を押しのけ、処置を始めた。
「お、おい…」
「…だまって」
普段とはやけに違う強気な石津を目の当たりにした田代は、処置が終るまで黙っていることをやむなくされた。


「…これ…でいい…わ」
瞬く間に処置を終えた石津は、何事もなかったかのように使った薬やら何やらを救急箱にしまい込む。
「…後…は…こま…めに、布…とり…替えてあげて…」
「お、おう。任せときな」
そしてまたどことなく重い雰囲気が周囲を占める。最初に口を開いたのは、田代の方だった。
「…なあ、おめーこう言う経験慣れっこか?」
石津はこくりと頷いた。
「…よく…校…門前…で、見か…けるの。こう…いう猫…」
ぼそぼそと語り出す石津。時折田代の顔色をうかがいつつ話す。
「こ…の子達も…幻…獣…とたた…かっているわ。私には…わかるもの」
「幻獣…か。そうか、こいつも戦友ってわけか」
田代はベッドの上でくるまって眠っている猫の身体をさすり、そう呟く。
「ここに来るまでに、俺はダチを、戦友を失った。正直な、腐ってたよ。
なんで俺だけ残ったんだって…あいつらじゃなくて俺が死ねばよかったんだって…!」
無意識にライダーグローブを握り締める田代。目には涙が浮かんでいる。
「…でもな、後悔は何もうまねぇ。迷う暇あったらこんなちっぽけな存在でも、守れるようにならねえといけねえんだよな、
俺達…」
なおも涙ぐむ田代。
「…つか…って」
その様子をじっと見ていた石津は、ポケットから刺繍の入ったハンカチを手渡した。
「…ああ、すまねえ」
涙をそのハンカチで拭う田代。なおも頬を伝う涙は止らない。
「…強い…想いは…人を変える…わ。貴方…はきっと…だいじょうぶ…
だって弱き…ものを…守る力は…大いなる…力を呼ぶ…もの」
石津はそう言い終わると、また俯いた。



 そんな事が関係しているのか、後日田代は自らスカウトへの部署変更を志願し、若宮・来須両名に日夜しごかれることになる。
非常に短絡的ながらも、彼女なりの世界を守る方法の第一歩のようだ。

やがて彼女は神の手を持つ女となり、英雄の介添え人として歴史に名を残すこととなるのだが、
それはまたの機会に話すこととしよう。



〜終〜